今日たまたま見たテレビについて・・・

 今日、ハートネットTVというものを見た。

 テーマは、引きこもり当事者と引きこもりの子を持つ親の対談という、なかなか重いテーマでありました。

 話すことは、コミュニケーション、人とのつながり、働くことという、話す内容もなかなか重かった・・・(´;ω;`)

 コミュニケーションにおいては、やはり、子側も親側も、相手が何をどう思っているかわからず、不安な毎日を過ごすということです。

 せめて何を考えているかがわかれば動けるのだが、それがわからず、1年また1年と時が過ぎて行ってしまうようだ・・・

 特に、子側は親側が何を考えているかがわからない不安があるようだ。

 そもそも、引きこもり家庭は親子のコミュニケーションがほぼ皆無のため、お互いすれ違い時が過ぎてしまうようで、親側も、一方的なコミュニケーションになりがちになってしまい、子側が心を閉ざしてしまうようである。

 そうした中で、引きこもり当事者は、親とのつながりやかかわりも乏しい中で、他人とのつながりを拒絶してしまい、人とのつながりをほとんど待たず、何十年も時を過ごしてしまうことが多いようです。

 コミュニケーション不足により、外部とのつながりも閉ざされ、当然働くということがかなうことは極めて難しいことだということは容易に理解できた。

 私の場合は、発達障害の当事者で、引きこもりの当事者ではないので、当事者の方の心は理解ができないですが、考えとして、たとえ親でも、ずっと同じ屋根の下で暮らすのは、どういった形であれ、あまりいいこととは考えていませんでした。

 働くということは、親と離れ、互いに違った人生を送ることであり、関係を悪化させることを防ぐことでもあるということを思います。

 ですから、引きこもり、親とずっと同居することは、かえって、生きづらさを増幅させ、精神の環境に一番悪いことであると考えておりました。

 しかし、当事者から見れば、そういった理論、理屈ではなく、ひょっとしたら、自分自身にも原因がわからず、引きこもっているように思われます。

 このテレビの最後に出てきた、働くことは、生きていくことなので、「働くことを待ってもいいですよね・・・」という親の声に、やさしさや愛情を感じた当事者も多かったようだ、上から目線の「働け」ではなく、働くことは、生きていくことなので、「働くことを待ってもいいですよね・・・」という親のことばが、もっと、せめて20代のうちに届くような環境になっていけばと思うばかりです。

 本来、いつからでもやり直せる、せめて自分が生きていけるよう、やり直しがきく世の中であればいいが、今の日本ではまだ難しいようです・・・